日々の進捗

本条さんが読んだり遊んだりしたもののメモ

歌集『雨を聴く』(高島裕)

  • 2ヶ月前、『にず』の読書記録に「今読んでいる歌集がパタッと読めなくなった」みたいなことを書いていたのだけど、その歌集がまた楽しく読めるようになったので読みました、という記録。

  • 著者の高島裕さんは、2020年6月から「未来」の選者をされている歌人。1996年に「未来」に入会され、2002年に退会、2016年に再入会。
    私は2013年入会なので、まだ「未来」のあれこれがあまりわからないなぁっていう頃に、先輩方が「あの、高島裕が、ついに未来に帰ってきたぞー!」みたいに熱気を帯びていたのが印象的だった。

  • そんな高島氏の第三歌集(2003年)。
    氏の「未来」掲載歌はよく拝読しているけれど、それらと比べるとだいぶ「若さー!」という印象。
    今の氏の作品にも感じる「愛の熱っぽさ」「憤り」みたいなもののうち、特に「愛の熱っぽさ」が色々な意味でよりストレートに表現されている歌集だと感じます。

  • 愛や性のみずみずしさ、みずみずしすぎてたまにちょっと気持ち悪いなってなるくらいのそれがある。
    その「気持ち悪さ」は、「色気が強すぎる」「直接的だ」みたいなことではなくて、熱狂しているものが放つ気持ち悪さというか……一首引かせて頂く。

噛み過ぎて味の消えたるガム、そつと口移しせり形見のやうに(P117)

 

  • 噛みすぎたガム、平常心なら口移したくない。でも、それにさえうっとりするような愛や情や欲がこの一冊を包んでいて、それに対して「うっ」となってしまう、のだと思う。

  • そんな「平常心」で読むと、「その熱が心地よい」が9、「うっ」が1、という手触りなのだけど。
    6月頃は、個人的に(夫婦的に)色々とあった、というか逆になさすぎて、「これはさすがに我慢しすぎではなかろうか」ということが静かに溜まっていた時期だったので、「平常心」ですらなくて。
    そういうときに純度の高い「愛」を見せつけられると、「うっせぇ!(怒)」という八つ当たりのような気持ちしか生まれず、こりゃ今はダメだな、と一時離脱したというのが「読めなくなった」の概要なのでありました。

  • 最後に、印象的だった歌をいくつか引用して終わります。

君ぢやない人たちに会ふ、会ふために軍装をととのへゆく真昼(P13)

みづからの悲しみを深く信じつつ女(ひと)は涕(な)きをりわが腕のなか(P110)

やがて深くふかく悲しむ時のため日溜りに咲き満つる思ひ出(P140)